つまり、どこにもいなくて、どこにでもいる。
神様もしくは信仰の対象というのは、じぶんの中にあるものであって、いるものである。
つまり、どこにもいないのに、どこにでもいる。
じぶんの中の神様は、別にアマテラスであっても、キリストであっても、アッラーであっても、釈迦であっても、宇宙であっても、太陽であっても、月であっても、山であっても、海であっても、森であってもよい。
ともすると、信じているのは自分だけとか、わたしはお金しか信じないとか、神様よりキミを信じるとか言ったりもするから不思議だ。
うるさく言われるといやなので、あらかじめ、挙げたのは順不同と言っておく。
少なくとも釈迦は神様ではないけれど、人によってはかけがえのない信仰の対象ではある。
ましてや月なんて、じぶんのかわりにお仕置きをしておいてくれなどと、制服女子に自分の仕事を委託したりする。
それら信仰の対象は、一般的に過剰な財産などという即物的なものは必要としていないし、要求もしない。はずだ。
要求するのは、実際は全てヒトであって、数多ある金満宗教団体の方々には、ぜひとも信じるところの神様からの業務委託書でも見せてほしいものである。
ついでにいうと、税金はこういうところからも、しっかりと徴収してほしい。
ああ、でもアマテラスはオオクニヌシに国をよこせって言ったのだっけ。
まあ、系譜からは現人神かもしれないし、この話のポイントとは関係ないので、そこは置いておく。
神様は、そこにいるかもしれなくて、どこにもいないかもしれなくて、それでもおそらくは、じぶんの中にいる。
だから、結局のところ、とりあえず最初は、自分で、体張って、頑張ってみないとダメなのです。
天命を待つのは、あくまで人事を尽くしてからのこと。
by nomurahidefumi
| 2013-10-05 10:35
| 日々写真