発言について
「スポーツの場での政治的なメッセージはその国の民度が問われることだ」
全文を聞いていないのだが、少なくとも(表面上は)教育のトップの立場である文科相の発言としては、大いに問題がある。
「スポーツの場で政治的なメッセージが掲げられたということは、率直に言って遺憾だ」
こちらの発言は当然発信すべきものとして問題がない。参加国で共有されるべきルールとして成文化されている。
この「民度」発言は、一部のサポーター等が発した問題のある行為を、その国の問題として拡大してしまっている。
(もちろん、横断幕を掲げたのが本当の意味でサポーターであるかどうかもあやしいのではあるが)
「民度」を辞書的な意味で捉えると「国民や住民の生活程度、また、経済力や文明の進歩の程度」(小学館)となる。
これが問われるというのだから、相手国から反感を買うのも当然で、仕方がない。
もし、韓国の国民に一斉調査を行なって、「今回の行動とメッセージが正しい行為である」と認識するという回答が大多数に至るならば、それは民度を問われても頷ける。
その国民の大多数が、国際的な見解やルールについて順守する意志がない、ということだからだ。
ルールに納得できず、それを尊守できないのであれば、参加しなければよい。
ところが本件については、件のとおり一部の問題行動であって、そういうことではない。
また、その横断幕はその後取り払われたと聞く。
事実がそうであるならば、関係者がその行為を問題として認識したこと、それにより自浄作用が働いたことについても、きちんと評価をしなければいけない。
つまり、ごく一部の相手国民によって問題のある行為が行われたことについて遺憾であると表明し、その自浄作用については評価し今後も期待する旨を、正確に明確に述べるべきであったのではと考える。
結構いろいろなことに続く内容でもあるので、しばらく、なんとなく、この話題が続くかもしれない。
(7月30日14:22 TBSニュース)
28日に行われたサッカーの日韓戦で、韓国側のサポーターが日本の歴史認識を非難するためとみられる横断幕などを掲げたことを受け、下村文部科学大臣は「スポーツの場での政治的なメッセージはその国の民度が問われる」と指摘しました。
「これは韓国だけの問題ではなくて、今後も国際試合であるかもしれない状況の中で、これはやはり、その国の民度が問われることだと思いますし」(下村博文 文科相)
韓国側のサポーターの対応をめぐり、下村大臣は閣議後の記者会見で、「スポーツの場で政治的なメッセージが掲げられたということは、率直に言って遺憾だ」 と述べました。その上で、下村大臣は「スポーツの場での政治的なメッセージはその国の民度が問われることだ」と指摘し、韓国側に対し、「フェアな形での応 援を期待したい」と述べました。
by nomurahidefumi
| 2013-08-01 00:35
| 日々写真